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2007/07/09

子育て支援をもっと広く考える

子育て支援の話を調べていくと、結局それは子育ての話だけではないんだなとわかってくる。当たり前ではあるけれど、狭く考えていってぐるっと回って再び行き着いたような感じ。

子育てが上手く廻っていくためには、そのためのスキルを備えているだけではなく、生活それ自体の安定が必要である。さらには“自分の子どもと自分たちがいる”ことについての肯定的なイメージを持ち合わせて子どもを迎え入れられることが重要になる。そしてその底には、自分自身や自分の暮らしに対する信頼みたいなものもあるのかもしれない。
もっと言えば、理由はわかんないけどパワー持ってんなぁ>この人、って感じ。
まあエンパワーされている状態って言うと今どきっぽいでしょうか。ぎょーかいへの通りも良いかもしれないし。でもそうであるような、違うような。
 

なんだ、一般の子育ての話と同じじゃないかって? その通り。しかし同じようなケアが為されない環境にあってはトラブルも起きやすいのは当然だし、それは親が知的障害だからという原因帰属をさせやすくなる。
(このような議論のスタイルは海外論文でときどき見かける。そのへんはまたメモ的に書き出してみたい)
 
 
知的障害のある人に対する他のサービスを見ていると、(1)一般にはあまり問題にならず、あるいは問題とされるのでサービスが意識され、(2)知的障害のある人にもそれなりにサービスによるカバーが提供されているが、(3)軽度やボーダーといわれる人にはカバーが抜け落ちている、というパタンが観察される場合がある。
しかし子育て支援についてはこのようなパタンが適用されない。(1')一般についてニーズが指摘されるのでサービスがあり、(2')知的障害がある人についてはニーズが意識されておらず、あるいはニーズの存在が無視されており、(3')軽度やボーダーといわれる人は問題とニーズが指摘され一般のサービスを使う場合もあるが、使われない場合も少なからずある(それで問題がなお大きくなる)。
一般の話と同じニーズや課題・問題があるはずなのに、未だそれらが課題認識されていないところに現在の問題の一端がある。

他のサービスがどうしてパタン(1)~(3)のようになることが多いのか考えてみよう。簡単に言えば、(3)の人たちのほうがサービスアクセスは(2)の人たちよりも近い。だから普通は(1)、(3)にサービスカバーがあるけど(2)が抜け落ちる。
ならば子育て支援やそれ以前の準備段階支援についてだって、たいへんかもしれないけど海外で頑張っているところもあるわけだから、日本でもやってみません?と思ったりもする。それでニーズ・課題解決できるのであればやった方が良い。
 
 
うーん、なんだか書いているうちにずいぶんなところへ行ってしまったな。しかもずいぶんと曖昧かつ弱い物言いに留まってしまった。わかりにくいし。

でも暮らしを肯定していくこと、肯定できること、そこから始まるという当たり前の話を持ち出すことが出来たのは、ちょっと嬉しい。
改めてもっとわかりやすい話にしつらえ直し、びしっとサムアップできるくらいの話にしたいものだ。
 

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