« 朝起きたら | トップページ | ひさびさの名古屋 »

2007/07/13

my words are not bullets

会議も重要だったり大規模になると、資料がやたらと多くなる。
それでも2時間で終わるのが通例だろう。どんなに中身が多くても、どんなに議論があれこれ予想されても、だ。

すると、話し合いの基本である、言葉をひとつひとつ積み重ねて新たな結論に至るという本来のかたちからはかけ離れていく。
 

もともとがパワーゲームとしての会議もあり、さらに資料に基づいた論理と誠実さの積み重ねがお呼びではないことになってしまえば、そこはもはや相手に自分の主張を如何に通すかがもっぱら眼目となる。

何をどのように説明するかではなく、どのタイミングでどれだけ言葉を放ったかが重要になることがある。人によっては声の大きさなども要素らしいが、私はこれだけは使わない。

そのとき、言葉は意味を剥奪され、ひとつひとつが銃弾となる。

好ましくはないけれど、会議で、どうしてもそのように振る舞わなければならないことも出てきてしまう。
そういう会議で銃弾を放ったときには、多かれ少なかれ高揚した気分になる。銃弾を平気でぶっ放せるわけでもないから、やはりかなり自分を高ぶらせないと引き金は引けないのだ。

その後の高揚感のようなものとはまた別に、会議終了後は酷く疲れる気分になる。
帰りの車を運転していても、這々の体(ほうほうのてい)といったところだ。いわゆる、「勝った」ときであっても、それは変わらない。
いったいこれは何なんだろうと考えていた。そう、俺は自分の大切な言葉を銃弾にしてしまっていたのだと思い至ったとき、少しわかったような気がした。

会議というアリーナの昂ぶりと、哀しさに裏打ちされた疲弊感。両方とも嘘ではないというのも、やりきれなく思う。
 
 
そして、私はこの会議に出なくなった。私はこういった類の会議(やりとりの場)は苦手なのだ。それが大切な会議でも。

ずいぶんと前の話である。
 

|

« 朝起きたら | トップページ | ひさびさの名古屋 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/59692/15720617

この記事へのトラックバック一覧です: my words are not bullets:

« 朝起きたら | トップページ | ひさびさの名古屋 »