« あまりできないくらいでいい | トップページ | こんぺいとう »

2007/03/20

窮状認識がない人の支援(その2)

先日、窮状認識がない人というタイトルで支援のことを書いた。

窮状認識がない人の支援(2007/02/11)

これとは別の方から、やはり似たような話を伺う。
少し時間が経ったので、以下に或る程度ぼかして、良くありがちな話として書くことにする。
 

債務額はかなり大きい。
と同時に、軽度の発達障害であったために支援機関との付き合いがこれまであまりなく、支援慣れしていない(支援利用になれていない、また支援者がいる暮らしや支援者と付き合うということにも慣れていない)。それゆえ、支援については忌避的。

親御さんもお子さんの障害についてあまり認めたがらない。それでずっとお子さんの債務を肩代わりし続けてきた。いわゆる“打ち手の小槌”状態である。これではいつまで経っても支援体制の形成につながらない。
だって本人困ってないし。

「金銭感覚とは生活に関わる身体感覚である」 by 江國氏(2006/05/26)

徒に追い込めばいいという話ではないにしても、相応の“困り感”は必要だ。どうにかしたいと思えれば、それを接点として支援関係が出来る可能性が始まる。
それがない場合には、お節介(という名のやりとり)を焼き続けるしかなくなる。しかしお節介を焼き続けるというのは、お互いに何らかの関係を結ぼうとして引き合っている関係よりも疲れるし、安定しない。

親御さんとの話し合いにより、課題を整理していく。そこから信頼関係をつくり、課題を共有する。“打ち手の小槌”は止めていただく。
すると債務をどう整理していくかの話し合いに入ることができる。具体的な対処がひとつ、ふたつ、できるようになる。

本人が債務を実感して“困り感”がいくらかでも出てくるならば、そこから接点を幾つか持てるようにしていく。
この先は、或る程度、先日のエントリーと似てくるのでそちらを参照。

ただし、本人の周囲に本人を金づると思っている“知人”が居たり、そうではなくとも生活の見直しにブレーキを掛ける人が居る場合もある。簡単に切れるものではない。その“知人”がそれなりに本人との生活共有をしていたり、何らかのかたちで互いに依存し合っている、もしくは信頼関係にあることもある。
そうすると、相手側の信頼関係とこちらの信頼関係とでは、どうしてもこちらのほうが弱くなる。いわゆる“信頼獲得合戦”の話に持ち込まれてしまう。
そうなると、その“知人”が居ることを前提に関わっていくか、あるいはこちらの信頼を増して支援関係を作るか。いずれにしても苦しいながらコンタクトをとり続ける誠意が必要となってしまう。

→信頼獲得合戦(from 「上手に人に頼る」、satosholog)

信頼でなく、“効力”が鍵となってくる場合もある。つまり、こうすればあなたの債務が少し整理できるとか、生活を考え直せるとか、示すことが出来れば。
おお、そうか、みたいなつぶやきが本人から出てきたら、(心の中で)小さくガッツポーズ。

こういうことをするためには、単独の支援者では接点が弱いし、本人に対するアプローチも簡単にしかできない。複数名で事に当たれるならばその方が良い。キーパーソンを中心に、(就労・)生活支援ワーカー、福祉事務所、社協、保健師、地域の支援機関、等々が、連携して関わっていく。
フランスでは公的な立場の福祉ワーカーとファイナンシャルカウンセラーのような人がペアで支援に当たるとのことである。

…以上のようなことを、相談にいらした方とああだこうだと話し合う。もちろん簡単にことが進むわけはないのだが、しかし方針は組み立てていく必要がある。
容易ではないにしても、踏みしめて歩いていく。
 

|

« あまりできないくらいでいい | トップページ | こんぺいとう »

消費生活・金銭管理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/59692/14293718

この記事へのトラックバック一覧です: 窮状認識がない人の支援(その2):

« あまりできないくらいでいい | トップページ | こんぺいとう »