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2007/02/09

国立病院機構での医療事故

千葉県四街道市の国立病院機構「下志津病院」で、昨年10月に筋ジストロフィー専門病棟に入院中の男性の呼吸器装着不備があり、男性が意識不明の重体となっている事件について。
以下に新聞記事を示す。記事リンクが切れていたら、その下のキャッシュを参照されたい。

→070206毎日/国立下志津病院:筋ジスの20代男性、呼吸器装着不備で重体--千葉県警捜査
同cashe)

→070206毎日千葉/下志津病院医療事故:非公開、取材応じず「プライバシーに配慮」
同cashe

→070206読売/人工呼吸器はずれ20代男性意識不明…千葉の国立病院
同cashe

朝日も7日千葉版で掲載しているが、現時点ではネットに載せていない。

関連ブログとして、
呼吸器外れの医療事故の記事について(こすもすの部屋、2007/2/6)
謝罪ですまない(介護・医療について考えるブログ、2007.02.06)

とくに「こすもすの部屋」のエントリーに対してはYahooブログの転載機能を利用してか、複数の転載があったり、またコメントが付けられたりしている。

ひとまず記事の記載事項に依拠してコメントすることとするが、

 関係者によると、昨年10月27日午後9時ごろ、4人部屋に入院中の男性の管が外れた。男性はすぐにナースコールを押し、同室の3人の患者も異変に気付いてコールを押したという。しかし、勤務中の看護師3人はいずれも緊急連絡に気付かず、約10分後に駆け付けた時には男性の心臓は停止していたという。男性は、全身をほとんど動かせず、自発呼吸もできないため、人工呼吸器が「命綱」だった。

4人が10分もナースコールを押し続けて誰も駆けつけない(駆けつけられない)状況とはいったいどのような環境なのだろうか。それほどに人員が不足していたのか。果たしてそれが適切な医療システムと言えるのか。
また仮にこの病院が公に求められている基準等を満たしていたとして、運用上その基準が実質的に遵守されていたと言えるのか。
さらには、10分間も4人のコールがあっても気づけない(対応できない)医療ケア環境は、単なるミスではなく、構造上の問題として捉える意識で厳しく検討されるべきではないか。そして、そのような目で見ていくならば、つまりそこにそのような構造が以前から存在していたとするならば、これまでの期間に同様の“ミス”が生じていなかったとは考えにくくなるのではないか。少なくとも前向きに誠実に対処していくつもりならば、“たまたま起きたこと”としてのみ捉える意識は捨てて調査していくべきだろう。

他の件で日本療養病床協会など幾つかのところを調べたことがある。介護保険における制度変更で療養病床などは心配される状況にある。それは置いておくとして、その際に、民間の療養病床協会では自発的に評価基準など設定して医療サービスの質の維持向上に務めていることなどを聞いた。国立病院機構はこれに加盟していないわけだが、独自に同様の努力をしているかどうか不明である。少なくとも厚労省内の審議会では、当機構の独法化に伴う経営努力等の議論は議事録から読み取れるのだが、医療サービスの質に配慮し、これを向上させようとする意図を明確に示す文面はなかなか見つけられない。また国立病院機構のホームページにアクセスし、平成17年度の諸業務評価など公開資料を見る限りでは、ケアの質的向上の努力を機構として評価基準を設けて定期的にチェックしている様子はうかがえない。私の確認不足であるならば、是非とも教えていただき拝見したい。
「国立病院機構が取り組んでいること 」には誠実な取り組み目標が掲げられていて好感が持てる。しかしこれを具体的に評価し改善していくための取り組み行程やその結果が公表されているわけではないように思える(見落としているなら教えていただきたい)。Evidence-Based であるべきなのは、何も医療だけではない。これから行うつもりであるならそのようにお教えいただきたい。

少し外れるが、もともと私はこれらの筋ジス病棟については「生活の場」としての生活支援水準が維持され保障されるべきだと考えている。事実上、彼らの終の棲家となっている場合も少なくない。しかしながらこれらの場所が生活上の質を保障できているという話を残念ながらなかなか聞かない。

ここだけについて言っているのではない。しかしここについても言えることだろう。

想定される反論として“そもそもここは医療の場である”という主張もあり得る。これは想像なのではなく、他のいわゆる“医療的ケア”が必要な場でしばしば蒸し返される主張である。しかしそうだとしても、生活を犠牲にしてまで維持され絶えず優越され続けなければならない医療とはどのような場合があるのかを明示的限定的に示していくべきではないのかと考える。命が無条件に尊く重いのだとの考え、それによって医療が尊重されなければならないとの考えは理解できるのだが、そのように重い命は、日々の暮らしが実質的に豊かに彩られることによってその重みを如何様にも増す。

…脱線してしまったので戻す。

警察は業務上過失傷害容疑を調べているとのことである。私たちはそのようにして何かの罪が明らかになることを望むことももちろんだが、同時に今回の悲しい起きるべきではなかった事件を出発点として、その場に暮らす(暮らすという言葉が認められにくいのであれば、“居続ける”でも良い…こっちのほうがシビアだと思うが)方々の生活やその困難がより一般的に明らかになり、今後の継続的でオープンな改善に繋がることを望みたい。
 

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本文で挙げた「こすもすの部屋」では、今回のような事態について他にもあるのではないかと、情報を集約していくことを呼びかけている。

手をつなぎませんか(こすもすの部屋、2007/2/8)

関心のある方はこちらへアクセスしていただきたい。

投稿: ながわ | 2007/02/08 23:47

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