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2007/02/20

子どもの頃を思い出した

先日の続き。
(→同期会と故郷、2007/01/22)
(→三遊亭白鳥と同期会、2007/01/28)
こうしていると、子どもの頃の自宅周辺を思い出す。

家の敷地の前には、子どもでもまたげるくらいの小川(用水路)があり、メダカも泳いでいた。きらきらした水と水草(みずくさ)がイヤに誇張されて思い出される。隣家との境にはグミの木があり、服を汚しながら食べていた。ふきのとうはその土手で取るものだと合点していた。タンポポも土筆も三つ葉も。幾つかある畑のうちのひとつに行く途中、草むらがあって、そこでぼけっとしていたこともあったっけ。夕方とか。あるいはもっと暗くなってからとか。
 

近所の神社は、洞のある木、途中から二つに分かれている木、いろいろあって暑かったしセミはうるさかったけど、それでも暗がりのある静かなところという印象があった。だるまさんが転んだとか、鬼ごっことか、石取りとかやっていた。

冬に雪が降ると、田んぼは広く白い場所になった。放射冷却で冷えた朝は表面が固くなって“しみわたり”(凍み渡り)ができるようになった。宮沢賢治で雪渡りと紹介されている。うちでは、しみわたり。その朝、子どもは雪の上を歩けた。いつもは見ているだけの白い場所が、広い遊び場になった。深くまで固くなっているわけではないので、大人は歩けない。それも楽しかった。強く歩くとズボッと足が沈んでしまう。軽々と飛ぶように歩き、走った。雪国の子は雪上の歩き方を知っているから。

他の子の足下を蹴ると穴ができて、その子は宙に浮いた格好になって転ぶ。それをやり合うのも楽しかった。
ただし思わぬところに川のようなところがあり、当然下に地面が無いから落ちることがあった。浅ければ笑い話で済むが、深い場所だとその川に落ちて上がれない。他の者もうっかりと近づくと同じように落ちるから、怖い。水はとても冷たいから、凍えて死ぬかも知れないという恐怖心は子ども心に携えていた。幸いにして友だちが落ちたという話は聞かなかったけど、噂で誰かが嵌ってたいへんな目にあったということを聞いたような気もする。

しみわたりに関するページは以下の通り。
しみわたり(よめぶろぐ)
凍み渡り(しみわたり)(おやぢ組)
しみわたり(失われゆく雪国のくらし)
雪国のしぜん
 
 
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追記
それから、同期の知人が雁木(がんぎ)や街並について書いている。
高田の雁木と高田式(af_blog)
小柳医院と高田日活(af_blog)
私はもっと田舎の出なので、この雁木は高校になって初めて歩いた。冬はこの町に下宿した。
1/22のフジテレビ「とくダネ!」がシリーズ「忘れられた日本」のひとつとして高田の雁木通りを放映していた。なぜかこの番組とは縁がある。
 

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