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2007/02/18

保護的支援のライン

久々に、今日あったことを今日すぐに書く。

法政大の佐藤さんと武蔵野大の菅さんと私で協議。菅さんの話を聞く会というか。
あれこれ話題はあった。刺激があったし考えさせられるところもあったし、悩みもした。法学の人たちの話を聞いたので理解できないところもあり、もっと思考枠組みがわかってればなあと思いもしたけれど、私があまり法学に染まってもいけないだろう。
そういう自分の勉強不足を棚に上げる部分だけではなく、同じ言葉を話していても違うかもしれない場合があることも感じた。
 

supported decision-making という言葉を巡っては、たぶんその際の“サポート”という部分と、“決定”という部分、いずれもがそれぞれに、菅さんの言うそれと私の認識するそれは、微妙に異なっているのだろうと思われた。
たとえば「決定する」という部分については、法的な意味を発効するレベルでの決定と、もっと日常生活の中で少しずつ為される決定との間の開きを少し考えた。日常ではもっとふにゃ~っとしたところで共同に決定されるようなこともあるのだ。
また“サポート”は思ったよりも多義的に使われそうな言葉であると認識した。
決定権限を(知的障害者本人から決定代行者へ)移すのではなく、両者の決定権を併存させることのほうが“サポート”に近いとの話は賛成。ああ、ずいぶんと言い方を歪曲していますか。そうだったらごめんなさい。私の理解不足です。

(言い方はいい加減ですが)取消権・同意権に基づく後見モデルと、代理権に基づく後見モデルは、とても違うのだという感じの話も出た。適用に差があることは何となくわかっていたつもりだったが、言われてみれば確かに本人の主体性をどれだけ損なわせるのかとか、また実際の支援とも併せ考えてみると、確かに違う。取消権・同意権に基づく後見モデルの場合は、ひとまず本人がどうするかの話になる。代理権に基づく後見モデルは、本人が判断に関与する余地が最初から無い。
この辺りはたぶん改めて佐藤さんがblogなどで説明してくれるだろう。

そして、先日はこれと逆の方向の話を聞いたことを思い出した。某所で後見に関する研究会に参加したところ、そこでは“代理権まで有るか無いかでは、現場じゃぜんぜん意味が違うのですよ”とのつぶやきが複数から出ていた。本当にたいへんな人の場合には、代理権まで使えないと困るんだ、だから軽い人には補助・保佐でなんて言われても、現場は困るんだとのニュアンスであったと思う。
さてこれにどう応えたものか。

今回集まった人たちは、根拠や立ち位置は異なるかもしれないが、それぞれに前者のモデル(取消権・同意権に基づく後見モデル)を尊重するところで同じ方向にあった。管さんは Mental Capacity Act(MCA)のベストインタレスト(best interest)を打ち出す英国の制度を引きつつだし(あれは英国流の徹底的な個人主義を背景にしているという雑談も面白かった)、佐藤さんは後見制度に内在する危うさの指摘ということのようであり、私はバタバタしても支援は後から追うくらいで良いのではとの認識からだったかな。

前にも書いたと思うが、「保護的支援のライン」をどのくらいに取るかが問われているのだろうと思う。同じ話を菅さんが“日本の後見運用は、保護的に過ぎるところに引かれているのではないか”と指摘していたのは我が意を得たりと言うところだった。でもこれを現場でどう維持していくのか、それがこれから問題となる。

Mental Capacity Act では“能力がない”という言い方を採らないとの説明は興味深く聞いた。Mental Capacity Act は incapacity の言葉にしようとの案もあったのだそうだ。これを capacity で通したことは頑張ったものだ。人の能力について後見法を扱う学者の間で機能的アプローチ(functional approach)が各国で流行っているということは知っていたけれど、“能力がない”とは言わないで後見理由を組み立てるのだと説明を受けたのにはいささか戸惑い、自分が却って能力論に囚われているのではないかとも思わされた。
先日来このblogでも話題にしている Ashleyさんの場合、彼女が自分に関わることをどうしたいか、それに関与する余地はあると私は思っている。しかし法律能力も含めて何でも判断できるかといえばそれは困難だろう。
Mental Capacity Act の場合、これをどう取り扱っていくのだろう。

しかしMental Capacity Act はまさにこれから具体的に走り始めるのであって、このような理念がどう実際に落とし込められるかは決まっていないようだった。関係する裁判官が全国でも12人しかいないとの話などを聞くと、本当に大丈夫なのかしらと思うところもあるのだが、まずはスタートを見てからとすることにしよう。Mental Capacity Act 施行は今度の4月からの予定だったのだが、準備の遅れから半年延期されたとのこと。

いずれにしても、私は自分の supported decision-making の検討をこの辺りから始めてみようという気になっている。パターナリズムを含めた自己決定論を演習で取り上げ検討してみたり、学生が愚行権を修論にまとめるのを手伝ったりしながらあれこれ考えあぐねていたところだったのだけれど(だからこれまで自分のHPでも項目を立てきれずにいた)、自分なりにくさびを打てる場所がこの辺なのかもしれないと、帰りすがら思った。
 

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コメント

後見の話なんだから支援を抜いて「保護的後見のライン」なんじゃないのと指摘されそうな命名だ。そうですね。そうかなと思います。
ただ私は支援関係を考えるときにこれを思いついたので、こう書いてしまった。それにどのみち後見と支援を連続的に考えている立場でもある。
ならば「保護的後見支援のライン」の命名なのかなあ。
そのうち書き改めるかもしれません。

投稿: ながわ | 2007/02/19 08:29

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