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2006/12/17

アンダーカレント/豊田徹也、から(その2)

Ⅱ.

この漫画では、「人をわかるってどういうことですか」という問いが提出される。それがこの物語に通底している。

1人は、わかりやすく気持ちの良い表面だけど、実は内面がわからない。そのことに後で気付かされる。
1人は、最初から殆ど話さず、わかりにくい。
そしてもう1人(自分)は、自分の気持ちもわからない。

わかるというのは、あまり容易なことではない。ただし、わからなければならないということでもない。人は、ぜんぶわからなくても生きていける。
しかし、そのことに改めて気付くと、ふと揺らいでしまうのかもしれない。
 
 
他者を理解することが出来るか?という問い自体は、私も昔から持っていた。20年くらい前からだ。それをここで出してもあまり関係ないのだが、ついでだから書いておく。

かなり以前、研究室に訪ねてきた客と、そのことを話し合ったことがある。彼は理解できると言い、私は出来ないと答えた。

別にペシミスティックになりたいわけではない。相手のことをちゃんとわかっているなんて、おこがましいだろうと思うというくらいの気持ちだ。だから私も相手のことはわかりたいと思っているし、その努力は行っている。しかしどこまで行っても、相手の最奥には辿り着けまいとの認識はわきまえておきたいということ。
にっこりと、「大丈夫、君(おまえ)のことはみ~んなわかっているから」なんて言われたら、気味が悪いだろう? 少なくとも私はそうだ。もっとも、そのような言葉を渇望しなければならない人もいると思うので、誰にも押しつける気はない。最初から言っているとおり、私の心の持ちようであるということでしかない。

私はそのようにして、相手と自分の間にある距離を感じ、そしてそれを大切にしたいと思う。
いつのまにかそれは、“距離を慈しむ”という表現で自分の中に落ち着いている。
 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こういう話はあまり頻繁にすることはないが、ふとした拍子にそのようなことを語ることもある。常に1対1で話をしているときだ。

ただ、若い学生にはあまり話すべきではないなと反省したことがある。あるときこの話を聞いて、その学生はとても困ってしまったらしかった。わかるということについて、もっと希望を持っていたか、あるいは何も考えていなかったのだろう。
もう少し気をつけて話そうと思う。

しかし、私だって別に悲観しているわけでも暗く考えているわけでもないんだがなあ。

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