« 良くも悪くもここにいる | トップページ | 支援型社会と支援型法、「容易化」法(その2) »

2006/12/10

支援型社会と支援型法、「容易化」法(その1)

日本法社会学会関東研究支部の例会として開催された、武蔵野大学現代社会学部の菅富美枝先生の発表を聞く。
題目は「現代社会における『支援』型法の役割--任意後見の活性化問題を手がかりに」だった。
菅さんのことについては以前にも英国 Mental Capacity Act 2005 のことでも紹介したことがある。

Mental Capacity Act 2005 (misc.: 2006/09/05)

個人的にはずいぶんと勉強になったし、興味深いものだった。この例会を紹介してくださった佐藤彰一さんに御礼申し上げる。佐藤さんのblogでも本件はエントリーされているので、参照されたい。
支援型法という切り口(satosholog: 2006/12/10)

例会の発表は、下記の著書のダイジェストあるいはこれをベースにした内容だったかと思う。これを著者本人から聞き、その後に1時間以上質疑応答するという、おいしいというか、有り難い企画だった。

→「法と支援型社会 他者指向的な自由主義へ」(菅富美枝、武蔵野大学出版会、2006)

なお私も含め何人かのおじさんは、著書を購入してあったので、これにサインをいただいた(^-^;;

発表の中身についてかいつまんで報告とも思ったが、やはり法学の基礎がない私では上手くできないので、配布されたレジュメから基本的な部分を引用しておく。

<テーマ>
自発的な「支援」を社会の中でいかに活性化していくか、現代社会における法の役割を模索する。前提となっている基本的立場は、すべての人には「利己心」とともに「利他心」が備わっており、後者の萌芽を摘んでしまうか開花させうるかは「社会」のあり方と「法」次第である、というもの。個々人の主体的精神に基づいた「社会的連帯」のあり方を問う。
同時に、「支援」を受ける側に目を向け、「支援」の目的が、被支援者のエンパワーメントであることを基礎としている。「任意後見の活性化問題」との関係では、後見任務の遂行や一般的な介護行為は、本人の最善の利益(ベスト・インタレスト)の実現を目的として行われている場合のみ、その限りにおいて、正当性を有する点を確認する。
<本報告の基本的視点>
これまで、法学において、自発的な支援行為について考察するという作業はなされてこなかった。ここには幾つかの理論的背景があるが、それらは「自由」の理解に関わるものであったといえる。本報告では、法制度において直接的に認知することが避けられてきた自発的支援行為を、「社交」として捉えることによって、法が関与していく理論的可能性を追求するものである。
支援行為を、なす者・なされる者の両方から捉えることによって、個人、人間関係(人-人の関係)、社会、法のあり方について、新たな理解が試みられる。現代社会における「自由」の拡張として、選択的な絆=他者との関係構築を可能とするような法理論および法制度のあり方が考察される。
「自由」とは単に法が沈黙を守ることに尽きるものではないのではないか、「自由」に対して法は新しい「関わり方」が求められているのではないか、との疑問・視点に立っている。

<キーワード>
個人の自律 / 自由の拡張 / 関係の選択可能性 / 他者指向的自由主義
個人と個人との自覚的ネットワーキング / 「社交」
法の「支援」態勢 / 「容易化」法

ここまでは、レジュメ1ページ目の概要説明部分だ。

以下、(その2)に回す。

|

« 良くも悪くもここにいる | トップページ | 支援型社会と支援型法、「容易化」法(その2) »

成年後見」カテゴリの記事

社会福祉」カテゴリの記事

コメント

読みは「すが」さんです。かんさんではありません。

投稿: ながわ | 2006/12/11 22:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/59692/13002597

この記事へのトラックバック一覧です: 支援型社会と支援型法、「容易化」法(その1):

« 良くも悪くもここにいる | トップページ | 支援型社会と支援型法、「容易化」法(その2) »