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2006/12/11

支援型社会と支援型法、「容易化」法(その3)

それで質疑の内容なのだが、すでに(書くのが)疲れてしまった。どうしようもないな。

支援型社会と支援型法、「容易化」法(その1)
支援型社会と支援型法、「容易化」法(その2)

質疑・討議はフリーで1時間半弱に渡った。ほぼすべての人が参加したような感じ。かなり話し合えて面白かった。

「容易化法」ができたとして、濫用があるのではないか、応用問題としての成年後見を振り返ってみても、現場では自己利益誘導を目的とする行為ばっかりのような気がするけど、のような質問が複数から出る。コンセプトの描き方がロマンチックなんじゃないか、理想的に過ぎるんじゃないか、のような話も出たかもしれない。
まあそれはそうかなと思う。でもだから大胆で面白いんじゃないか、これまでに縛られない発想なんじゃないか、というところだろう。

また菅さんは、日本の後見法におけるリスク対応(言葉は曖昧)はかなり固い水準にあるから大丈夫だと答えたように記憶している。

ただ総体として、多くの参加者は好意的に受け止めていたような空気を感じたんだが、どうだったのでしょう。若くて元気があって良いなあ、ということも含めて。

法律としてはどういう位置づけになるのか、という質問もあった気がする。これについては既存の法体系の整理がわからないので、議論が理解できなかった。その辺は佐藤さんのblogのコメント部分で少し紹介されているので参照すると、自立型法、管理型法、普遍型法の3分類というのがあるのだそうだ。勉強不足でよくわからない。
これについては、3類型のどれかに属するとか、第4類型を創設するとかの話ではなく、既存法に斜めに入り込むもの、と菅さんは説明していた。私も個人的には既存の法律を少しずつ変えていくようなものなのかしらと思っていたので、ひとまずそのように理解しておいた。合っているかどうかは不明。

被援助者側の話なども出ていたけれど、忘れてしまった。残念。
 
 
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私が質問したのは、3~4つ。

まず素人質問なのだが、福祉法とはどう同じで違うのか、と伺った。
これには菅さんも面食らったろう。上記3類型のどれに位置するのか?という質問ではない。今回の議論に照らした場合に、じゃ福祉法って何をやってると言えば良いんだろうかと思ったということ。
でもよく考えてみると、支援に関係するという意味で似たように見えるかもしれないけど、機能は全然違うのかもしれない。福祉法の提供しているものがどこからどこまでなのか考えていく必要がある。たとえば社会資源を保障している。そういう話だ。
でも「容易化法」はむしろ人の行為の自由度に関して機能しているように思う。そして、人の機能・働きについて福祉法が関わるとすると、たとえば誰がどこまで支援するのか/出来るのか、についての整理になるのかもしれない。
…そう考えると、ひょっとすると家族による扶助との間でぶつかる可能性があるのではないか。その場では相互理解が出来ていなかったので私も混乱していたのだけれど、後で(茶会の際に)聞いてみたところ、家族による扶助とはぶつかるかもしれないという話も出てきた。これはまだ確定じゃないので、慎重にしたい。

次に「容易化法」が為す機能は何なのかについて。菅さんは facilitate という言葉を使っている。苦心して「容易化」と訳しているが、「支援」という言葉も考えたらしい。そのへんの逡巡は、もうひとつ「支援型法」という言葉も使っている点に現れている。
ただ困ったことに、私にはどうも facilitate の語感がわからない。積極的奨励という感じなんだろうか? しかし報告を聞く限りでは、そこまで積極的な役割ではなく、人が他者を助けるについて妨げになるものを減らそうということであるように感じられてならない。だから“let them do so”なんじゃないの?と聞いた。
これについては他の質問と混ざってしまって今ひとつ答えを明確にもらわないまま終わった。

それからもうひとつ、そこまで利他的行為の存在に依拠して良いのか?という疑問も持った。人が利他性を備えていることについては認められる。しかしそれを前提として法的なところに上手く落ち着かせる程ではないような気もする。彼女は阪神淡路大震災の際のボランタリーな行為なども挙げていたし、21世紀はボランティアの世紀と主張する人も居たような気がする。彼女の発想は英国のチャリティー組織に基づくものらしいが、そちらを理解するとあまり無理のない提案になるのだろうか? しかしそれでも、恒久的な法として組み込むには安定的ではないような気がしたのだけれど、どうなんだろうか?

「容易化法」が対象とするものを利他的行為ではなく、「社交」のより一般的なかたちにしてしまったほうが、収まりはよいのではないか。つまり他者との自発的な関わり合いに対する容易化を念頭に整理するほうが楽ではないか。その際、利他性は結果としてのみ取り扱われる。
ただ、こうやってしまうと逆に対象行為が曖昧になってしまうかもしれないし、第一あまり楽しくないかもしれない。その辺はこれからもう少し議論できればよいのかもしれない。

ところで、ふとweb2.0の現状を思い出した。あれも多くの人が自発的に何かを発信し、創造している。見返りは自己達成感や社会的賞賛としてもたらされるのだろう。このあたりになると、利他的行為とは言えないけれど、上記で私が書いた「社交の一般展開型」とは近くなってくるのではないのだろうか。

つまり、そんなところでも彼女の言う新しいリベラリズムは進められているのかもしれないってことで。

さ、触発されてこんなふうに勝手に書き散らしてみましたが、どんなもんでしょうか。私もこれらが正しいとは思っておりません。もっとよくよく整理検討していかないといけない。ただ、それを進めるリーダーは菅さんであって、私は周囲で勝手に騒いでいるだけの呑気な人間ですが。


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