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2006/08/23

知的障害のある親の子育て支援(6)

今回は脱線のような話をする。

こういった子育て支援の話題の時には、私はコウモリのようになる(というとコウモリに失礼か)。

児童福祉の側からは、ネグレクトや養育の課題を持ち知的障害等が考えられる親御さんが増えているという話を聞くと、ひどいことをする/ろくなことをしない親の元からは子どもは離された方が良いと思ういっぽうで、しかしだからといって知的障害のある夫婦のすべてがそうではなく、むしろ支援の問題ではないかとつぶやいて、認識不足と非難されることになる。
逆に親の側からの支援を熱心に考える人々との話し合いの中では、しかしそう簡単に話を進めて良いのかと意地悪なことを言うことになる。

よくよく考えると、両者の話題にしている親御さんというのが、必ずしも同じイメージを指し示していないこともあるように思われる。いわゆる集合の勉強の時に目にするベン図のように、A∩Bのところだけではなく、AnotBやBnotAのところもある。

【A】親側から見てやっていけるよねと言われるのは、もともと、どこかで支援の手が繋がっていて(支援者からの支援を利用しながら)社会に出て、結婚し、子どもを産むに至る方々。彼らの人となりを認めたうえで距離を置いて、しかし必要なときには遅からず支援できるように、みんなが繋がっていく。前にも書いたが、ドタバタくらいがちょうど良いのかもしれないにしても(これaとか、あるいはこれbとか、それからこれc参照)。あるいは祖父母の役割におんぶする場合もあるかもしれない(日本の場合は結構これかも)。この特殊例が、(その3)で紹介した西定春さんのところなのかもしれない。

【B】子どもの側から見てダメだわとされるのは、子どもと子育てについての認識がきちんと自覚されていない場合。加えてそもそも生活自体が成り立っていない、家の中が成り立っていない、家計的にも破綻している、ずっと支援者とのつながりが無く成長して、支援を使った生活の廻し方が難しい、あるいは拒否的であって関係が結べない、信頼関係が作れない。そんな親の場合。だと思う。
(知的障害が軽度の場合はBになる場合もあるかもしれない。そういう指摘もあることだろう。ただし、そのような人がすべてBになるのではない。実直に生きている人も少なからず居ることは確認しておきたい。やはり一人ひとりの話)

すべての家族について対立するとは思われない。出来ることもあるし出来ないこともある。問題は、両者の意見が対立しそうなA∩B。
ここまで来て、こんなの知的障害に限ったことではないでしょうと思った方、するどい。私もそう思う。知的障害が無くても、今の若い夫婦の中にはこうなってしまい養育放棄に至ることが増えているので、児童福祉側が懸念するのも無理はない。
(脱線:他でも言ってますが、知的障害の問題は障害領域の枠にはめて考えてはおけないようになってきている。現場は昔から知っている話だけど、支援システムがついて行ってない。)

子どもについて愛玩対象の域を出ないのではとの指摘をされる場合もある。“かわいいかわいい”で赤ちゃんを育てるけど、それ以上にはなれない場合があるのではとの意見。これについては認められるところもあるように思う。だから子どもを育てる環境をもっとみんなで考えられる方が良い。
しかし知的障害があって子育てを続けていらした方々については、まだみんなバラバラだったりして、まとまった見解にはなっていない。だからダメと決めつけるには早すぎる。

ただね、昔ならば適当に子育てが出来ていたり、あるいは出来ていなくても何とかなっていた世の中だったけど、今はそうじゃないから、子育ては難しくなってきているんだと思う。そういう社会状況の変化も加味したうえでの話なのではないか。

ネット上でもあり、今のところなかなか具体的なご家族の話を出せないのはやむを得ないところ。しかし時間を置いて、もう少し支援を得ながらの子育てについて具体的に話を進めてみたいという気持ちもある。1年かかるか、5年先かわからないけれど。

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