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2006/08/05

目玉焼きをどう食べるか?

幾らか前に原稿用紙1枚ほどもらって書いた文章(2001.09.17、童会)を、たまたま引っ張り出してきた。字数制限を外していろいろ書き足してみた。
以下掲載。

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【目玉焼きをどう食べるか?】

目玉焼きをあなたはどう食べるだろうか。焼き方はサニーサイドアップか、ターンオーバーか?(cf. Wikipedia:目玉焼き) 食べ始めるのは白身からか、黄身からか? 私はとろっとしたキミを突いて、最後はご飯にかけて食べるのが好きだ。未だに皿に残った黄身をがもったいなくて仕方がない。

ある肢体不自由と言語障害のある女性(全介助)の希望は、これを“ぱくっと全部食べたい”だった。どうするかというと、周囲をたたんで1回で口に入れるという方法。介助者が、では、とそうしたところ、“これを一度やってみたかった”と言って満足されたんです、という話を知人の介助者から聞いた。

言われてみると、私はそんなこと、何となくもったいなくてやったことがない。未知の領域だ。でも私はもうけっこうな年齢なので、「大人食べ」と称してそれもできる。でもやってない。やりたければ明日にでも出来る話にしても(註1)。

彼女の場合は、実はやりたくても口に入るか心配されたり、いぶかしげに見られたりで、だんだん言い出せなくなったのだそうだ。失礼ながら彼女は私よりも幾分お年を召していらっしゃる。じゅうぶんに大人食べクリアだ。それを最近やっと食べたんだという話を聞いて、私はなんだか考えさせられた。
必ず他者を介在させなければならない人の場合、こんな何気ないところがぽかんと空いていたりするのかもしれない。これに対して、ひとまずは“介助者は利用者の希望を先ずは聞くもんだろ”という言葉が浮かぶ。それはそうだ。が、その原則だけではなかなか上手く事が運ばない部分もあるだろう。ミクロに眺めていくべきところだ。

介助行為というのは本人の希望によって手順が決まるものだが、何でもいちいち聞くわけにも行かないので、次第に「いつもの手順」(ルーチン)が出来てくる。この聞きながらやる部分とルーチンにする部分の「案配」が良いのも、どうやら「良い介助」の条件のひとつらしい(註2)。
ただしルーチンは適当に崩されてそのときどきの希望に応じる余地が必要だ。そのような、ルーチンから不規則な崩しへの変換が行われるためには、介助者の相応の観察や柔軟性が必要になるように思われる。

こういう話を学生に卒論・修論で取り扱っていたことがあった。それほどちゃんとは出なかったけど、でもまとめてもらえば良かったなあと、残念に思っている。そういう研究結果が、何本か有る(註3)。


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註:
1)そういえば、成人して一人暮らしを始めた夏にスイカを思い切り食べたけど、途中で撃沈してしまったなあ(遠い目)。一個ってなかなか食べきれないものですね。

2)「良い介助」はあまり突き詰めてもしょうがないと思っている。アンケートとして聞いてみても、それほどはっきりしない。しかし「悪い介助」や「やってもらいたくない介助」「困る介助者」は答えられやすい。ではそれらをひとつひとつ潰していったら最後は良い介助者に行き着くかといえば、そうではないだろう。また、悪い点の少なさを良い介助として序列化できるかといえば、これもまた違うと思う。

3)例えばトーキングエイド使用者の「会話割込」と「会話成立」に関するエスノっぽいやつとか。全身性障害者に対するホームヘルパー等の介助場面におけるイニシアチブの取られ方に関する観察研究とか。論文提出はされてるんだけど、雑誌論文にはしてもらわなかったのが、惜しいなあと。

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