成年後見とコミュニティフレンド(4)
さて、こうやって活動を進めていると、知的障害、発達障害、精神障害等、判断に支援の必要な人の暮らしの将来を考えていく際に後見だけを置くのは不十分であると感じられるようになってきた。生活支援が置かれるのは当然だが、その次に後見人を入れて事足れりとするには、【距離がありすぎる】と言えばいいのか。
本来、生活支援の資源がじゅうぶんに動けるのであれば、暮らしを作っていくのはかなり大丈夫だと考えている。そうであるならば、《本人-生活支援者-後見人等》のリンケージでやっていけるかも知れない(この場合、“近い”役割は生活支援の機能が担うだろう)。ひとまずこの辺を作業的には理想としてみて良いように考えている。実際、軽度知的障害の成人を支援する生活支援ワーカーのうち、かなり頑張っている人は、だいたいのところが支援の枠で行えると考えている。そのように言い切れる人はあまり多くないのが辛いのだけれど。確かに、後見システムに依存する支援設計は慎むべきだろうと思うし、後見ブームの現在だから、そういう態度を持っておくべきだろう。そして、それでもなお(今の社会では)必要な部分として後見が担えるようであればよいように考えている。支援と後見は互いにその存在を或る程度オーバーラップさせながら存在するものだろうとは思うけれども、実際に動くのは多くが支援の側(であるべき)だろう。
ところが、これはある意味理想型であり、残念ながら生活支援システムだけでカバーするのは困難なように思える(繰り返すが、この辺が哀しいところ)。
出来ない場合はどうするか。
そこを埋める役割/機能を置くべき。
具体的な回答は幾つか考えられるだろうが、私たちはコミュニティフレンドという存在を置くことにした。
以下、コミュニティフレンド(Community Friend)を略してCFと呼ぶ。
現在はまだ詰め切れていない(のでこうやって考えている)が、その人にやって欲しいことなどは出来てる。そこで、この夏から養成とマッチングを始め、走りながらかたちを作っていきたい。
今のところ次のような言い方をしている。
“成年後見のような法的な関係ではないけれど、地域で、障害のあるご本人と定期的に会い、ひとときをともに過ごしながら、暮らしのことをご本人と一緒に考えたりする「街の中の友達」として関わってくれる人のことです。”
このように言っている以上、関係は本人との1対1の対応関係になる。なので、マッチングを事前に行う。マッチングが不適切であれば、交代せざるを得ないが、そうでなければ関わりを続けてもらう。
会うのは例えば月1回くらいになるか。現在、千葉県から研究助成金をもらっており、これで試行的に活動をしていこうと準備を進めている。計画作成時は経費的に詰めていたので当初は予算的に年内4回くらいと言っていたのだけれど、しかしそれで十分な関係を結べるわけもないだろう。また初期には少し濃密に会う必要もあるだろう。それで、結局は月1回もしくはそれ以上になるのではないかと考えている。予算もそれに応じて見直し、別の事業を縮小させてコミュニティフレンド(CF)事業につぎ込むこととしている。
(続く)
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