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2006/07/30

成年後見とコミュニティフレンド(2)

成年後見とコミュニティフレンド(1)の続きである。

これから何回かに分けて、成年後見からコミュニティフレンドへ至るあれこれを書く。

(★以下、かなり思考実験というか、作業的に考え考え書いている。だから行きつ戻りつした文章になっているし、コミュニティフレンドの位置づけや整理は途中だと思っていて欲しい。)

障害のある人にとって、後見の利用を行うとすると、比較的長いおつきあいになる。その間に、いろんな社会的活動や社会参加をするだろうし、もう少し平たく言えば、いろんなところに出かけもするだろう。またいろんな人と出会ったり関わったりするだろう。そうなれば立場も変わってくるし、やりたいこと、しなければならないことも出てくる。社会的な要請や環境はどんな人でもかなりの変化が予想されるはずだ。高齢者を引き合いに出しては失礼な気もするが、高齢者の後見で見受けられるような、相続やそれに伴う財産管理を一時処理すればそれで済む話ではない。

このような、たくさんの“やりたいこと、しなければならないこと”が長期に渡って生じる可能性があるときに、後見という関係だけで対処しようとするのは、無理があるし適切ではない。むしろ後見人等と連携のある支援者が重要になることをPACガーディアンズでは指摘してきた。
(★この辺はもっと詳しく具体的に書いた方が良い)

まず私たちは、後見人等もしくはこれに類する関わりをする立場の人間には“遠い人”と“近い人”がいることを話し合った。というか、あれこれやっているうちに共通理解となっていった。
(★誰が後見人になるか?とか、親はどう考えればよいか?などを話し合った末のことと考えていただいてもよい)

遠い/近いとはどんな意味か? それは物理的距離でもあるし、支援の質・種類の違いだったり、人間関係の差違でもある。いろんな遠さや近さがあるだろう。
近い人には近い人の良さと悪さがある。また遠い人には逆の良さと悪さがある。
例えば親は近い人。身の回りのことについてどうしているのか情報を多く持っているし、人間関係から本人のことをよく考えている(場合が多い)。しかし時に本人を侵害する場合もあるし、また本人の利益と親の利益が同一視化される危険性も懸念される。家計的にも両者の収支が混在することは、家族として有り得ることではあるが、後見関係を成立させる場合にはときに弊害となることを十分理解しておかなければならないが、この理解が進まない場合もある。
いっぽう第三者後見人は遠い人だろう。身上監護に重点を置く後見人ではなく財産管理を主とする後見人であれば、更に遠い関係になる。引いた目で対応することが出来、本人を取り巻く人間関係に影響を受けることも少ない。利害相反も無い(そういう人を選ぶから)。しかし本人の日常生活に寄り添った判断をするには不十分かも知れないし、臨機応変な対応には向かない。

試行錯誤の結果、おそらく近い人と遠い人が連携しながら必要事務を行うのが良いのだろうということになった。後見関係をとる場合には、一方が正式な後見人となり、もう一方は補助者/監督者/協力者となる。日常の支援のあり方やマネジメント等に関することは専ら近い人が関わることになるだろう。

(続く)

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