上手に他人に頼る
「上手に他人に頼る」ことがとても大切で、でもそれが上手くできなくて、だからそれが社会へ送り出すというか、社会の中でなんとかやっていけるようになるために必要なことなんだよ、と言っている人が居た。児童自立援助ホーム「人力舎」をやっている千葉県君津の高橋さんという方なのだが、それを私はとても共感を持って聞いた。あー、同じだなーと感じた。
同じだなーって、それは、知的な障害のある、消費トラブルなどに巻き込まれる人のことだ。
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(参考)
児童自立援助ホームというのは、養護施設などを出た後、しかしまだ社会で一人で暮らすことが難しい青少年(15~20歳?)と一緒に暮らすグループホームのようなものだと思っている(間違っていたら指摘してください)。私たちの子どもだって、大学に入っても、大学を出ても、親のすねをかじって自分の身の回りのことも上手くあしらえるかどうかわからないだろう? そうした現代にあって、養護施設では中卒、もしくは高卒で社会へ出なければならない少年がいる。彼らが私たちの子どもと同じかそれ以上の環境を保障され、社会へ出る準備をすることが支援されても、それは当然に必要なことだ(が実際にはほとんど保障などされていない)。
→仙台のホーム紹介(http://yaplog.jp/kyono/archive/45)
→関連して:児童養護施設wiki(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E6%96%BD%E8%A8%AD)
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話を戻して。
知的障害・発達障害のある方々の消費生活トラブルなどを見ていく、あるいはその支援をしている人の話を聞いていても、同じ言葉を聞くことがある。
過去のblogだと以前この辺りに書いたかなという気になっていたのだが、あまりきちんと触れていなかったようなので、少し書き足しておく。
一人暮らししている人で、安心して放っておけるというのか周囲で見ていることができるのは、計算が上手な人なのではなく、困りそうなときに連絡をしてくれる人なんですよねと言っている支援者が居た。まあもちろん支援者にとって楽なかたちということもあるのだけれど、それは少し意地悪だし偏った見方だろう。
ずっと困りごとを抱え込んでいつか倒れるのではなく、自分が必要なときに上手に支援者に頼ることができるというのは、かなり重要な素養だ。
もうひとつ、たぶん、頼るということよりもむしろ、甘えることが上手にできるかどうかというのも大切なことなのだろう。相手をそれなりに信頼して、自分を少し開いて、おそるおそるであっても自分を相手に委ねる。普通なら幼い頃に十分経験して通過しているはずの“甘える”ということが、悲しいかな出来ないで育ってきた人もいる。自分と相手を少しだけ重ね合わせて生きるというのは、人が社会で暮らすときにとても大切なことだ。その“のりしろ”のような重なりを、持ちすぎるのも良くないが、ぜんぜん無いのも困るものだ。
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コメント
この世の中、誰一人として、孤立した一人暮らしでは生きていけないのですから、人への頼り方って障害のある人だけでなく、すべての人にとって大切な生きる知恵ですよね。
頼りたいって人の心を逆手にとって、騙す人間が、これまた不可避的に世の中には存在する。独居老人が、一番心を開くのは、遠くにいる長男ではなくて、煩瑣に訪れる悪徳セールスマンだったなんて悲しい相談もあります。
上手な頼り方と信頼の獲得合戦、あ、自分のブログに書こうっと。後日になるけど
投稿: satosho | 2006/06/16 06:43
コメント、TBともありがとうございました。追って何か書ければと思います。
きちんとSOSを出せるということでもあるのかな、と最近思っています。
それでそのSOSを出す先が悪質業者などだと目も当てられないというのは、佐藤さんの仰るとおりですね。
がちがちに支援を張っておくことはないけど、困ったなあと思ったときに頭に浮かぶのが支援者の*さんだった、という関係にはしておきたいものだと思います。
あ、“困った”感を持てない場合もあるというところも、もう少し考えていかないといけないのですが。
投稿: ながわ | 2006/07/11 06:45