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2006/06/13

いわゆる軽度知的障害者の支援と言われることについて

いわゆる知的に軽度な障害の人の支援は、などと考えていくと分からなくなることがある。

そのような人たちにまつわる生活上の課題やトラブルは、知的な障害と言われていない人のそれと特に変わりなく生じるし、結果として彼らは同じように周囲とぶつかり合う。
知的な障害のある人とそうでない人をどう分けるかと言えば、それは一方が療育手帳を持っており、一方が持っていないこと。また一方が障害関係の支援者と関わってきた経験を持ち、一方がそのような経験を持っていないこと。言ってみればそれだけではないか。両者は互いに重なり合うところがある。

だから支援にしても、知的障害がないと言われている人たちの支援者(それは例えば生活保護の支援者だったりする)と、障害福祉の支援者とが重なり合う。

障害がある、と考えると(あるいはそちらの側の支援者が関わると)、彼らは障害者としての支援の対象となる。そして、判断能力がないのだから、或る程度保護的に管理されてもそれは本人のためだと言うことになるのかもしれない。どこまでも親切で、どこまでもお節介というか。いや福祉は基本的に他者からの干渉ではあるのだが。しかし場合によっては、それは過干渉という過誤をもおかす。
いっぽう、障害がない、と考えると(あるいはそちらの側の支援者が関わると)、彼らは障害者としての支援サービスを受けられず、経済的生活水準があまり高くならず、でもまあそれはそれでしょうがないでしょと言うことになる。

支援をしなければならない人とそうでない人の線引きを、もっと変えても良いのではないか。ここで支援と言っているのは、知的な障害者に対する支援ということである。
何らかのかたちでの関わり合いは多かれ少なかれ皆必要とする。関わりの量が減るわけではない。ただ知的障害者への支援というステレオタイプな枠で収めてしまわないということだ。

で、その代わりにどうするか。
ヘンだと言われることも承知で言うのだが、ずるがしこさ、を許容する関わり方というのは出来ないのだろうか。

それからもうひとつ、支援者は障害領域だとかそうでないとかの垣根を越えた体制を組めるようにすること。

(以上は、まだもやもやしたことを書いている。そういうものだと許して欲しい。間違ってもいるかもしれない。言葉もかなり足りない。考える手順も跳んでいる。考えている途中だから。)
(もうひとつ、ふたつ、似たような話を、回を変えて書く。)

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