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2006/05/21

幸せの表し方

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先に書いたように、子どもの授業参観を途中で切り上げて横浜まで。新郎・新婦ともにうちの研究室を出た方が結婚式ということで、お祝いに伺った。で、そういうわけなので私が祝辞のトップバッターとなる。社交辞令でも何でもなく最初というのは私がやるべきではないと遠慮するが、結局お引き受けする。私はまだ若いのだ。私より偉い方々が少なからずいらっしゃるのは当然のことだから。

最初というのは良くも悪くもある。あるページを見たら、主賓挨拶なんて憶えている人はほとんどいないと書かれてあった。そうかそういうことかとひとまず理解。だったら早く仕事を終えて一息つくこととしよう。

しかしそうは言っても、そこはやはり相応にそつなくやらなくてはいけないらしい。ご家族の方々にとっては、自分の子どもの大切な式が、最初から軽々しく扱われたらイヤだろう。だから盛り上げるのは後の方々にやってもらうとして、斜めにやるのは好ましく無い。そこまで考えたらだいたい路線は決まった。基調は「外さないこと」。日頃の行いが悪いからあまり立派なことも言えない。威厳も落ち着きも備わっていない。必要なことを簡潔に述べ、長くせず、首尾良く式次第の序盤を作り上げるお手伝いをしよう。だからアドリブは入れず用意した原稿を読み上げよう。

そこまでは良かったのだが、しかしやはり原稿作成は当日早朝にずれ込んでしまった。なんとか書いて子どもの授業参観、そして礼服に着替えて式場へ。途上ずっと、ICレコーダに入れておいたカザルス版の無伴奏バッハ組曲を聴き通す。何かに浸っていたかったので。

10分ほど前に会場に着き、すぐに式が始まり、自分の役割が終わる。優良可でいったら、可だろう。

ここからプログラムの進行を眺める。友人一同の出し物が良くできている。言葉遣いも上手。私には真似の出来ない才能。中には自分の論文発表を数日前に終えたばかりだというのに、並行して披露宴用のビデオ撮影をしていた学生もいた。いつ論文を書いてたんだ?

個人的に強く印象に残ったのは、式の参加者がみな、その式をとても楽しみ、幸せをそれぞれに表現していたこと。新郎と新婦が入場してきたところからそうだった。新婦の笑顔が実に屈託無く、そして新郎も自然に喜びを表す。私はもともと感情表現が下手だから、20年ほど前の自分の挙式・披露宴でも固くなっていただけだったのは当然として、しかし以前はだいたいそんなものだったのではないか。でも今はこういうものなのかもしれない。決して悪ノリでふざけているのではない。喜び方が素直であることが、これほど周囲にも良い感情を惹起してくれるのだということが、私には興味深く、心地よかった。

こういうのは、パワーなのでしょうね。


 

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