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2005/06/26

愚行権

このところ必要に迫られて成年後見制度、とりわけ身上監護について勉強している。

これについてはその範囲がまだ定かでない部分もあり、特に介護業務をどう取り扱うかなどは論争もあるらしい。
この身上監護について、論争も含めてわかりやすくレビューしたものとしては、上山泰さんの本(成年後見と身上配慮、筒井書房、2000年)がやはり目にうるさくない気がする。

それでパラパラめくっていたら、事例検討でチェーンスモーカーのたばこカートン買いを後見人は止められるかについて言及していて、止められないとしている。その際に加藤氏の「愚行権」を使って論じていた(加藤尚武「現代倫理学入門」講談社学術文庫)。面白かったのでご紹介まで。ただしその倫理学者は愚行権を判断能力のない人には認めていないようなのだが、上山さんは知的障害者などでもこのような愚行とされることの権利を認めている(同書、p76~)。その判断が興味深い。

ここで言う愚行とは、大酒を飲むとか、ギャンブルで大金を浪費するとか、そんな類も含むらしい。
実際、いわゆる軽度の知的障害のある方でも慎ましやかな方もいれば、景気のいい人もいる。やれば後で自分が手痛い目に遭うのは確かだが、しかしだからといってそれをしでかす前から“悪いことを言わないから止めなさい”とするのも抵抗がある。基本的にそういうことをやる自由は保障されなければならない。昔から自立生活運動の中で主張されていた「リスクを負う自由」に並ぶものだろう。またこういう手痛い目というのは、やってみないと学べない。

とは言うものの、中には何度やっても懲りない人もいる。さてどうするかで周囲は悩む。いやおまえが悩むことではないだろうという指摘、それはまた正しい。面倒をしでかしてもずっと横でジタバタしながら支援する支援者も居て、そのような許容性のある中でこそ人生はその人のものになる。
しかし、悩ましい判断ではある。

話を戻して、愚行権。成年後見制度はその制度の性格からしてパターナリズムに至りやすいと思われる。放っておいても相手(被後見人等)をコントロールすることになってしまう中で、愚行権を言い出すというのはなかなかに大切な牽制だろうと思う。

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成年後見」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
私も身上監護について、あるいは権利擁護の意味について考えれば考えるほどわからなくなっていたので、この本は是非読みたいと思います。
ちなみに私は認知症の家族の成年後見人です。
上記アドレスのブログ「成年後見記-家族後見からみた成年後見制度-」を開いております。
家族後見と第三者後見の違い・共通の問題、制度自体の問題などと、後見事務の実際などを書いていくつもりです。

お暇の折に御覧頂ければ幸いです。
又、ご意見などをコメントして頂ければなお幸いです。

どうぞ よろしくお願いいたします。

投稿: nag | 2005/07/08 05:05

nag様

名前が似てますね。私はネット上ではひらがなで自己紹介することが多いです。

さて、コメント有り難うございました。
身上監護についてはえらい方々がいろんな論文を書いておられますので私が付け足すことはあまり多くないのですが、ただ実態としてどうなっているかを示したものはあまりなく、今年度は社会福祉士さんたちとともに調査をしていこうと考えています。私は専ら知的障害のある方々の後見に関わっていますが、仲間には高齢者の第三者後見に携わっている方々もいます。

身上監護についてより積極的にその役割を主張していらっしゃる立場の本としては、次のものもあります。

池田恵利子・小賀野昌一・小嶋珠美・中井洋恵「成年後見と社会福祉 実践的身上監護システムの課題」信山社、2002年、1400円+税

実践例も踏まえながら、わかりやすく書かれていると思います。

個人的には賛同するところもありながら、引かれるべきライン(業務としての身上監護)は若干異なるところもあるように感じています。現在これについて、知人の社会福祉士さんたちと検討しているところです。

nagさんのblog拝見いたしました。丁寧につくられていて、とても私のような気まぐれに書くblogとは違うなあと思いました。今後も勉強させていただきます。

投稿: ながわ | 2005/07/08 14:58

ながわ様
本のご紹介をありがとうございます。
「愚行権」という言葉がなんだか嬉しい。
誤解を恐れずに言えば、「リスクを負う自由」は認知症高齢者の場合、家族にもあるのかもしれません。施設スタッフを信頼すればこそ、家族だから冒険できると最近考え始めています。

投稿: nag | 2005/07/10 18:59

ながわです。

nagさん、すいませんがその解釈はやはり首肯しかねます。

「愚行権」はともすれば行動が縮小的に管理されることはあっても拡大することが困難になりがちな本人=被後見人等に対して、拡大的に行動することの根拠を示そうとする、幾らか思い切った主張であり、あくまでも本人を話題にするものだからです。最近の流行で言えば自己決定にかかわるところというか。

先に書いた、障害者の自立生活運動などの歴史を見ますと、彼らはまさにそのような、自分自身の自発的な行動の獲得に否定的に関わる周囲の保護管理的な支援(あるいは指導)に、如何に抗うかがテーマでありました。そしてその象徴的なエッジ(屹立点とでもいうのか)として、リスクや愚行を為すのは私たちであるとしてきました。
この場合、権利を持つのは本人であり、その家族が同一視されることはありません。

もちろん家族には家族のたいへんさが有り、苦しみがあることはいちおう承知しています。私自身もそのようなことを感じざるを得ない年代となってきました。しかし本人が持つべき「愚行権」を家族が行使するわけにはいかないと、そのように思います。


それともうひとつ、少し視点が変わりますが、nagさんのおっしゃる「冒険」ということが賛同できるとして、しかしそれが愚行であるとは思いません。愚行として自らを蔑むことなく、それでも選択をしなければならないのだろうと思います。今のところその結果と責任は家族に返ってくるようですが、しかし実はその多くが社会的な責任であるとも思います。社会がその責務を果たし対人社会サービスが充実していれば、家族がその「冒険」に賭すかどうかなど苦しむことはなかったかもしれないと思うからです。

先日、義母が義父を看取りました。最後は自宅で息を引き取りました。本当にたいへんだったろうと思います。私もまた、いろいろ悩みながら考えていきたいと思います。


細かいところに拘ったようなコメントですいませんでした。


投稿: ながわ | 2005/07/18 22:09

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