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2005/02/12

小遣い帳(6)

幾つかの場所を渡り歩いていて思うのは、グループホームやアパートなどで自分の暮らしを作っていく時に大切なのは、金額の計算が出来るかどうかということでは必ずしも無いということだ。出来ない人は店の人に聞いている。あるいは札を渡して釣り銭をもらう。そうすると小銭がじゃらじゃらするだろう。それをどうするかはあまり聞いていないのだけれど、一気に使ったり、支援者に対処してもらったりするみたいだ。→要確認

小遣い帳の記帳が出来るかどうかも重要では無さそう。小遣い帳研究をしていてこんなことを言っては身もふたも無さそうだが、予想できた答えでもある。もちろん付けていればそれなりの意味もある。悪いことではない。しかし出来なければ出来ないなりの暮らし方をする。文字の練習に使う人もいる。世話人や支援者と暮らしを振りかえるきっかけにしていることもある。で、上手くできるようになっていくと、記帳しなくなっていく。こともある。きちんと付ける人もいるけど。

むしろ財布を覗いて残額を気にすることが出来るとか、困ったとき(不足した、不足しそう)に支援者などに連絡できることが大切なのであって、金額の計算が出来るかどうか、記帳が可能かどうかはその次になる。あるいは、それらのことが出来なくとも暮らしは出来る。言い換えれば、ある意味どうでも良いことかもしれないのだ。
それともうひとつ。将来の暮らしへの夢や望みがはっきりと描ける、それを持っていることが出来ることが、日々の生活を作り上げていくうえで大切なのだと言うことを、グループホームに暮らす本人から伺った話の中から考えることが出来た。目標があると暮らしの仕方がはっきりしてくる。それは結果として、お金の使い方にも反映される。今回の小遣い帳研究とは別に、消費トラブルに遭った/陥った人の話も聞いていっているのだが、そのときにも同じことを感じた。今のところ勝手に“生活の平べったさ”と名付けているのだが、好きなことがこれといって無い、付き合う友達や新しい人との出会いが無い、良く生きていくための張り合いがないとき、人はお金を使うことそのもので余暇の活動としていくことがあるように思える。浪費や多重債務になっている人の話を聞いていると、そのように感じる人もいた。通常であれば、たとえばカートレースの趣味だとか最高級のオーディオ機器に血道を上げるようなことでもなければ、私たちはもう少し安上がりに自分の時間を過ごすことが出来てはいないだろうか?
この辺は裏付けとなる記述を持たないわけではないが、もう少し積み上げをしていきたいところだ。今はこれくらいの書き方になる。

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